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感じたままに書く楽しさ!

ブログ記事をあれこれ読んでいると、ふと感じる事がある。

あれっ!
この人、何かつらそうだねって。

記事の内容も興味深いテーマを取り上げていて中々面白い。
文章も長文でしっかり書かれているし、思わぬ展開などもあったりしてつい引き込まれてしまう。

けれど、どこか寂しそうでつらそうに感じる。

等身大の自分じゃなく、違う誰かを演じているような・・・
自分の作った枠の中で苦しんでいる籠の中の鳥のような・・・
それでも、無理をして頑張っている事がそう見させているのかも知れない。

そういう僕も空の青を手に入れたくて籠の中でもがいている一人。
何ものにも囚われない自由な世界はきっと気持ち良くて楽しいんだろうなと思う。

どうでもいい事を等身大の自分が感じたままに書く楽しさ
慌しい日常に流されていつの間にか忘れてしまっていたような気がする。

今日の空は曇り空。
あの雲の向こうにある空の青を見つけに、僕もそろそろ籠という枠を取っ払って外の世界へ飛び出してみるとします。

創作にも読解力は必要!

日本人の読解力が落ちているらしい。

読解力とは「文章などを読み解く能力」の事で、人間が生きて行く為に必要なスキルの事。

もっと言うと、相手の気持ちを読んだりその場の空気を読む力の事で、この読解力が足りたいと意志の疎通が成り立たなくなる。

読書をしていても、作者が本当に言いたい事は文章の中には書かれていなくてその裏側にあったり、文章の内容とは全く正反対の事だったりするのはよくある事。
その場合、読書という行為が意味をなさなくなってしまう。

読解力はそれだけ重要なスキルでもあるんだ。

実は、この読解力は創作の分野でも重要なスキルで、詩や小説・エッセイ等のテキスト系からイラストや写真・動画等のビジュアル系に至るまで創作の世界では必須スキルの一つ。

自分の心を表現する創作では、読解力が不足していると何を表現すればいいのか分からなくなる。

自分自身の心ですら読めないと自己表現ができなくなる訳だ。

だから、いつも読解力を磨いておく必要がある。

本や新聞を読んで読解力をつける方法もよくネットで紹介されているけれど、そもそも読解力が足りない訳だから文章を読んでいる途中で行き詰まってしまう。

そんな時は画像や動画に短い文章を付け加えている作者に自分が感じた事や思った事をコメントしてみると良い。

何らかの反応があればそういう事なんだなと分かるから・・・

そう言えば、僕も昔有名な詩人や写真家によくコメントしてたな。
その反応に一喜一憂していたのを今でも思い出す。

時間を生み出す才能!

国籍や性別・年齢、地位や立場に関係なく1日は24時間。

時間は有限だ

限られた時間をどう使うかによってその日の価値が決まる。

けれど、時間の使い道は殆んど決まっていて新しく時間を生み出そうと思っても容易じゃない。

実は、僕も最近時間の断捨離を行った。

ところが、いざ断捨離を始めてみると行き詰まってしまった。

1日の大半は生活に関する事で埋められていて時間の調整ができない。
比較的自由な夜間でも食事や入浴を除くと娯楽やネットに費やせる時間はほんの数時間。

もちろん朝の手が空いた時間や移動時間を利用するのも一つの手なんだけれども時間に制限があって中々集中できない。

やはり夜間の数時間をどう効率的に使えるかがキモになるんだと思う。

自分がやりたい事の優先順位を決めて必要性の低いものから捨てて行く。
或いはあれもこれもとやっていた事を一つにまとめる。
結局、そこから絞り出した1時間がその日の価値を決める事になる。

もしかすると1日の価値を決めるのは「時間を生み出す才能」なのかも知れない。

好きを仕事にする!

創作帳ブログを立ち上げてから他人の記事を読む機会が増えた。

自分にはない感性や考え方、それぞれの人となりがそこに鏤められているからだ。

ついつい文章に引き込まれ時間を忘れて夢中になって読んでしまう事もしばしば・・・

人気のブロガーやユーチューバーを目指して頑張っている人も多い。

その中で最近気になるのは、果たして好きなライティングや創作を仕事として楽しめるのかという疑問。

好きこそ物の上手なれという諺にもあるように好きだからこそモチベーションを維持できて苦労が苦労ではなくなるし、何より自発的に仕事を楽しむ事ができる。

確かにそれには一理あるけれども、現状を見ると僕は仕事と好きの両立はかなり難しいと思う。

なぜなら、好きを仕事にしてしまうとまず収益が優先されるからだ。

そうなると好きの基盤になっている自由度が制限されて思い通りのライティングや創作ができなくなる。
嫌な事も引き受けなければならないし、時には自分のやりたい方向性も変えなければいけない事もある。
理不尽な事だって多い。

つまり、その時点で好きが好きではなくなってしまうんだ。

ビジネスだしプロなんだから頑張るしかないと言う人もいるけれど、こんな筈ではなかったと落ち込んでしまう。

もちろん好きを仕事にする事は悪い事ではないし素晴らしい事だ。

だから、もしこれから好きを仕事にしたいと思うなら2つの世界を持てばいいと思う。

ビジネスと趣味の2つの世界
これが好きを仕事にする時のキーポイントになるような気がする。

趣味の世界で思う存分自由に楽しんだものをビジネスの世界にフィードバックする。
そうする事でビジネスと趣味の負の部分を補い合ってバランスが取れる。

2つの世界を作るという事はその時間と環境作りが大変だけれども、好きとビジネスの板挟みになって楽しむ事ができないと悩んでいるなら是非試してみて欲しい。

自分らしくライティングと創作を楽しむ為に・・・

自分の居場所!

あなたの居場所は何処にありますか?
あなたの居場所はどんな空間ですか?

僕も自分の居場所を探してあちらこちらと場所を変えてみたんだけれども中々見つからない。

ここが自分の居場所。
そう思って、そこに腰を掛けてみても何かが違う。
違和感があるんだ。

これは何だろう?

もしかすると居場所なんてものはこの世に存在してなくて、僕の想像上の幻のようなものではないかと思ったりもした。

けれど、それは僕の勘違いだった。

僕は今まで誰かが作った居場所、誰かが用意した居場所を探していた。
でも、それは他人の居場所であって僕の居場所じゃない。

だから、何処を探しても見つからなかったんだ。

誰に遠慮する事もなく、誰に合わせる事もなく自分の思うがまま、あるがままに過ごせる場所。
それが僕にとっての居場所。

違う価値観に触れたければそこへ行けばいい。
一人が寂しくなったら人の集まる場所へ行けばいい。

結局、自分の居場所は自分で作るしかない。

自分の為に作った空間で自分だけの時間を楽しむ

そういう事だった。

今僕はその自分の居場所でこの記事を書いている。

6月の雨は鼓動のしらべ!

日本のあちらこちらから梅雨の足音が聞こえてきた。

6月は雨の季節。
灰色に霞むマーブル模様の空を見上げていると憂鬱な気分になる。

けれど、僕は雨が嫌いな訳ではない。

窓の外から聞こえてくる雨音の不規則なリズムが、慌しい騒音も煩わしい雑音も洗い流して疲れた心と体を癒やしてくれる。

この感覚は一体どこで生まれて、どこからやって来るのだろう?

僕がまだ母のお腹の中にいた頃、言葉を持たない僕の唯一のコミュニケーション手段は母と僕の心臓の鼓動だった。

きっと、その鼓動のリズムを今も心と体が覚えていて、雨音を聞く度あの頃の記憶が蘇るのだろう。
そして、雨音を聞きながらあの時のリズムを思い出しているのだろう。

もしかすると、それは自分のリズムを取り戻せという天からのメッセージかも知れない。

今日も窓の外は雨。
この街に住む疲れた者たちを優しく包んで水無月(みなづき)の雨は降り続く・・・

※水無月(みなづき)=6月の別名。

子猫と僕の生き方!

過ごしやすい初夏になると、いつもの道を母猫と一緒に散歩する子猫達をよく見かける。

ようやく一人で歩けるようになって、母親に見守られながら世の中というものを一つ一つ覚えて行くのだろう。

その子猫達は生まれてまだたったの3ヶ月。
けれど、この世界の生き方をもう既に知っている。

甘えた声で擦り寄れば僕がご馳走を差し出す事も、愛くるしい眼差しで見上げれば僕が優しくハグする事も。

この場所で生きて行く事を決めた彼らは強い。
体や力が何倍もある僕なんかより遥かに強い。

強か」と書いて「したたか」と読む。

踏まれても叩かれても立ち上がる強さと、それをしなやかに躱す身のこなし・・・

強かに生きる彼らは、未だに迷いの中で迷走を続けている僕の体より何倍も大きかった。

そんな彼らの生き方は、僕の憧れでもあるのです。