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若葉が教えてくれた令和の生き方!

初夏は野山の草木が萌える新緑の季節

野山一面の若葉を眺めていると自分の心まで清々しく感じる。

その若葉をそっと手で触れてみるととても柔らかい。
柔らかいからこそ、どんどん成長できるんだろう。

もしこれが石のように固くて尖っていたなら、成長できないばかりか、いずれひび割れて壊れてしまう。

だから、成長するには柔らかい方がいい。
誰かと触れ合っても痛くないしね・・・

世の中には、思い通りに行かなかったり、理不尽な事や割り切れない事も多い。

そんな時、固く固く石のように固まってしまうのではなく、柔らかく柔らかく若葉のように周りの環境に合わせる。

平成は固く強くなる事が大人になる事だと教えられたけれど、令和は柔らかく強かに生きる時代のような気がする。

肝心な事は、根っこを伸ばして世界と繋がっていればいい。

令和の生き方を野山の若葉が教えてくれた。
とある初夏の午後。

自分のペースを取り戻そう!

五穀を潤す雨が休息の時を告げている

二十四節気の一つ小満(5月21日頃)に降るまるで穀物の成長を優しく見守っているような暖かな雨を眺めていると、今までの速すぎたペースを自分のペースに戻す事の大切さを教えてくれる。

夢中になって創作や執筆活動をしていると誰もがついついハイペースになってしまう。

実は、僕もその一人だ。

そんな時、僕は休息日を作る。

と言っても全く何もしない訳ではなく、いつものペースをほんの少し緩めるだけだ。

そうする事で、今まで見えていなかったものが見えてくる事がある。

創作や執筆は、単に作業をしている訳ではない。
自分の心がぴくんっと感じたものを捕まえて誰にも見えるように形にしているんだ。

だから、どんな人にも休息は必要。

ただ寝て食べて読書をするだけでも良い。

そうする事で、また違った新しい発見に出会えるような気がする。

大切な事ってね。
いつも見えない所に置かれているんだよ。

さぁ、自分のペースを取り戻そう!

今日は、そんな事をふと思う春と夏との間に降る静かな静かな雨の日。

エッセイを読むという事!

今日は、一日中他人のエッセイを読んでいた。

ブログを運営していると、どうしても書く事がメインになってしまって読む事が疎かになってしまう。

それで、久しぶりにじっくりエッセイを読む事にした訳だ。

おすすめ記事や人気記事、新規の記事まで沢山のエッセイを読んでみたんだけれども、それぞれがそれぞれの記憶の断片と断片を繋ぎ合わせて、人生の中のワンシーンをそこに綴っていた。

誰かの為だとか、自己主張だとかそういうものではなくて、ただ純粋に今の気持ちを書き綴る。

初夏の陽気のようなほんわりとした柔らかな日差しと優しい風がそこから伝わってくる。

もちろんエッセイだから文章を綴っているんだけれども、文章以上の文章を感じるのは、創作にも似たような感覚がエッセイにもあるからなんだろうと思う。

誰かが書いたエッセイという名の心と僕の中の心が絡み合って創り出された感覚・・・

たまには、こうして誰かの心を綴ったエッセイを読むのも悪くない。

言葉の本質を知る!

言葉というものは本当に難しい。

国が違えばその言葉の持っている意味が変わってしまうし、同じ言葉であっても使うタイミングで全く違う意味になったりもする。

1ヶ月程前、僕がこの創作帳ブログの独自ドメイン名とブログ名を考えていた時の事だ。

独自ドメイン名は「creation-book」で、ブログ名は「創作帳」にほぼ決まっていた。
だけど、ブログ名を創作帳にするか創作本にするかでまだ迷っていた。

僕は、図書館や書店に置かれている本のようにしっかりと製本化された本だけではなくて、簡素化された本も含めてもっと広い意味を持たせたかったので、創作帳を第一候補にしていた。

ところが、ここで一つの疑問が持ち上がった。

本を英語に翻訳するとbook。
しかし、文字の意味は理解できてもbookという単語の持っているニュアンス・感覚がどうしても理解できない。

bookという単語が、notebookのように製本化された本以外の帳面やノートにも使われていたからだ。

この感覚的な意味の違いを色々調べてみても、答えはどれも本や書籍ばかりで要領を得ない。

そろそろ創作帳で良いかなと諦めムードが漂い始めた頃、とうとうその答えを見つけた。

それは、bookという言葉の起源にあった。

bookの起源は、ゲルマン祖語bokiz(ブナの木)。
遥か遠い昔、人は情報を書き留め後々利用する為にブナの木を薄く切ってそこに彫り残していた。
それがbookの起源。

だから、bookには予約するという意味も含まれている。

そういう事だったんだと晴れて創作帳ブログをスタートする事ができた。

文字の意味だけでなく、言葉の本質を知る為には、起源を辿る歴史の旅に出てみるのも一つの手段かも知れない・・・

僕の創作の色は無色透明!

僕の創作スタンスを色で言えば、無色透明。
立ち位置で言えば、ゼロの位置を心掛けている。

そうする事でどんな変化にも柔軟に素早く対応できるからだ。

自分がやってみたい事を専門的に深く深く追求して、技術や知識をどんどん高める事も素敵な事だし、それも悪くない。
いずれはそうして行く事になるだろう。

だけども、まだ自分の可能性を追い続けていたい。
一つのものに固めたくないんだ。

だから「僕の創作は無色透明」。
僕の立ち位置は「ゼロの位置」。

例えば、詩で人気のあるのは恋愛詩。
それは知っている。
知ってはいるけれども、敢えて恋愛詩の創作を続けようとは思わない。
続けてしまうと恋愛詩の人になってしまうからだ。

例えば、落書きイラストで人気のあるのは猫。
知ってはいるけれども、敢えて猫イラストの創作を続けようとは思わない。
続けてしまうと猫イラストの人になってしまうからだ。

いつも一つの創作を終えるとゼロの位置にリセットする。
そうしてまたゼロの位置からのスタートを繰り返す。

その先に何が待っているのかは分からない。
でも、きっと今の自分よりももっと大きなしなやかで強い自分に出会えるような気がする。

だから、今日もリセットを繰り返す。

10年後、20年後の大きく成長した自分との出会いを楽しみにしながら・・・

日常モードから創作モードへの切り替えについて!

いざ創作をしようと思い、スマホを取り出したりパソコンの前に座っても中々創作できない時がある。

特に忙しい時や時間がない時は、そういう状況に陥りやすい。

本来は、綺麗なもの美しいものに触れたり感動があれば、スムーズに創作モードへ入る事ができるんだけども、そういう状況もそうそうあるものではない。

それでは、どうすれば日常モードから創作モードへ上手く切り替えができるのか考えてみた。

僕の場合は、どうやら過去にあった出来事や心がぴくんっと動いた記憶を思い出しているとスムーズに創作モードへ切り替えができるみたいだ。

おそらく、創作の時に想像や空想から入っているので、それを体と心が覚えていて条件反射的に切り替えができてるのだと思う。

つまり、行動を起こす時に必ず一つの同じパターンを繰り返すように心掛ける。

そうする事で、日常モードから創作モードへ切り替えるように自分で自分をコントロールできるようになる。
きっと、そういう事なんだろう。

例えば、創作を始める時に1、2分程度目を閉じるとか、ストレッチをしてみるとか・・・

そんな簡単な事でも毎回繰り返していると徐々に習慣化してくるので、気持ちの切り替えには複雑な事よりも簡単ですぐ出来る事を繰り返す事の方がベストだと思う。

日常モードから創作モードへ切り替えるには「創作時に一つの同じパターンを繰り返す」を心掛ける。

場所や時間に関わらず誰にでも出来る方法なので、気持ちの切り替えが上手くできない人は是非試してみて下さいね。

以上、日常モードから創作モードへの切り替え方法でした。

独創的な創作について考えてみた!

創作と創造は、似ているようで微妙に意味が違う。

創作は「 新しいものをつくり出す事」。
創造は「独創的なものをつくり出す事」。

どちらも今までに無かったものを新しくつくり出す事なんだけれど、創造は独創的という意味がより強調されている。

では、独創的とは何か?
他にはない自分独特のオリジナリティ」という意味になる。

創作活動をしていると誰もが独創的な創作に憧れる。
けれども、思考錯誤を繰り返しても中々手に入れられない(簡単に手に入れられないからこそ独創的な創作になる)。

そこで、今回は独創的な創作について少し考えてみた。

僕は、独創的なものは感覚や感性の中からしか生まれないと思っている。
なぜなら、論理的思考から生まれた独創的なものは誰にでもすぐ真似ができてしまうからだ。
そうなると、もはや独創的が独創的ではなくなってしまう。

だから、独創的な創作活動にはイメージがとても大切になってくる。
もっと分かりやすく言うと想像力・空想力が大切になる。

想像力や空想力を磨く為には

①想像・空想する環境を整える。
②論理的なコミュニケーションや既成概念を排除する。

この2つが特に重要。

①想像や空想の世界に集中する為には、自分だけの為に使う時間と場所があると集中しやすくなる。
②コミュニケーションはつい論理的に考えてしまうので、想像・空想中は止めておくのが良いんだけれども、社会的に認められている考え方を正しいと思い込んでいる既成概念はかなり厄介。
社会生活の中にしっかり組み込まれているので、完全にリセットする事は難しい。
それでも、少なくとも正しい正しくないの論理的な判断は持ち込まない方が良いと思う。

自分だけの居心地の良い空間で、自分だけの為に想像・空想をしてみる

それが独創的な創作を生み出す第一歩なのではないかと思うのです。

創作とは何か?

僕は、創作というものは物事の本質を表現する事だと思っている。

禅語の中に「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉がある。
これは「言葉や文字では物事の本質を伝えられない」という意味。

つまり、禅の世界では禅語は最早言葉ではないんだよ。
本質を追求する禅らしい表現だよね。

それでは、本質とは何かというと「物事の最も大切な根本の性質・要素」の事。

例えば、手の温もり一つとってみても言葉や文字では表現できない。

手の温もりの意味は、人それぞれ違うし時間と共に変化する。
どちらかと言うと、本質は感触や香り、雰囲気のような感覚に近い。

それを言葉や文字の意味で表現しようとすると、途端に表現できなくなる。

だから、詩やエッセイは言葉や文字の意味で表現するのではなく、それらを道具として使って、誰かに伝えたい本質を表現する。

もし、言葉や文字の持っている意味の組み合わせだけで良いのなら、わざわざ人が創作しなくてもスーパーコンピュータに任せれば世界一の詩人やエッセイストになれる。
でも、現実にはそうはならない。

結局、本質というものは、その創作者が今まで生きてきた人生の中で、失敗や挫折、成功や達成、喜びや悲しみ等沢山の経験から滲み出てくるものだと思う。

これは、詩やエッセイに限らず、絵画や小説も含む全ての創作活動に言える事であり、その創作者でしか表現できない独創的な創作になる訳です。

ちなみに、一流とかカリスマと呼ばれる人達は、これを必ずと言っていい程持っていて、誰もがそれを手に入れたいと願うんだけれども手に入れられない。

だって、それは創作者の「人生そのもの」なのだから・・・

初夏は、贅沢な時間を楽しむ季節!

二十四節気の一つ、立夏を過ぎると季節は夏。

春はまだ冬と春が入り混じっていて、気温や天気の変化が大きかったり風が強かったりするんだけれども、初夏は穏やかな天候が続く。

そうすると、誰もがアウトドアでその穏やかな自然を肌で感じてみたくなる。

そこで、今日は久しぶりにレンタルサイクルで街中から海岸まで足を伸ばしてみた。
街中をゆっくり見学した後、海岸沿いまで出ると、初夏の優しい浜風が頬を撫でていく。

慌ただしい日常から離れて、太陽の日差しと新鮮な空気、若葉の微かな香りを感じる。

この感覚は、何て表現すれば良いんだろう・・・

若葉の揺り籠に乗って、太陽の温もりと風の音を聞く。
そんな感じかな?

心地良い空間に佇んでいると必ずと言っていい程、時間がゆっくりと流れている。
そして、目を閉じるとそのゆっくりと流れていた時間が一瞬止まるんだ。

僕は、それをとても贅沢な時間の使い方だと思っている。

いくらお金を出しても、頑張っても手に入れられないものだから・・・

初夏は、贅沢な時間を楽しむ季節」。

それらを十分楽しんだ後は、アスパラガスやぜんまい、あさり等旬のものを頂いて、非日常的な空間からいつもの生活空間へ帰ろうと思います。

今日の僕は、そんな気分だったりするのです。

創作を継続する事について考えてみた!

コラムやエッセイ、詩や落書きイラスト等の創作を続けているんだけども、継続する事は創作をする事以上に大変だったりする。

継続は力なり」の号令のもと、創作は続けたいんだけど、忙しかったり疲れていたりで中々続けられないと思っている人も多いと思う。

そこで、今回は創作を継続する事について考えてみた。

継続をする為にはモチベーションの維持が最も大切で、読者やフォロワーの反応を見たりコミュニケーションを取る事でモチベーションが下がらないようにコントロールしている人も多んじゃないかな?

でも、その状態を続けていると疲労してしまうんだよ。
パソコンだってスマホだって休みなく使い続けていると疲労して壊れてしまう。

継続の意味は「前から続けていた事を続ける事」。

けれども、どこにも毎日続ける事とは書かれていない。
正しくは、定期的に続ける事を継続と言うんだと思う。

毎日続けなければならないと言う強迫観念のようなものに突き動かされ、疲れてしまって結局継続できないというジレンマに陥ってしまう。

つまり、ライフスタイルと創作活動のバランスが崩れている状態。

だから、まずは自分のライフスタイルに合わせて創作活動をする事が大切だと思う。

目安としては

①完全休養日を週に1日か2日とる。
②創作の投稿頻度は2日か3日に一度。
③SNSやコミュニケーションは完全休養日以外ほぼ毎日。

完全休養日は頭の中を整理したり見直しする為には必要で、創作の投稿頻度はあまり間隔が空いてしまうとSEO的にも読者に対しても良くない。コミュニケーションはほぼ毎日でないと会話が途切れてしまうと言う事を考えると、以上が目安になるのではないかと思います。

ただ、人それぞれライフスタイルが違うのでケースバイケースで参考にされて下さいね。

僕もこのパターンで少し様子を見てみようと思う。
もちろん、環境や状況に合わせての調整は必要ですけどね・・・

コラムとエッセイと雑記の違いについて考えてみた!

創作帳のカテゴリーを考えていたんだけども、ネット上ではコラムとエッセイと雑記がほぼ同じ用途で使われていて、違いについてもそれぞれの説があってかなり食い違っている。

そこで、僕なりにコラムとエッセイと雑記の意味の違いについて考えてみた。

基本的な意味をまとめると

①コラムは、一般的なテーマに対して、個人的な分析や意見をまとめた物。
②エッセイは、個人的なテーマに対して、体験談や意見をまとめた物。
③雑記は、色々な事を書きつけた物。

一般的には以上のような意味になる。

もう少し詳しく解説すると

①コラムは、世の中で起こった出来事に対して、客観的な視点で分析し意見をまとめた物。
②エッセイは、自分の身近で起こった出来事に対して、主観的な視点で感じた事や意見をまとめた物。
③雑記は、一貫性・秩序性に拘らず、特定のテーマや用途を決めずに自由に感じた事や思った事を書きつけた物。
メモ・備忘録・覚え書きのような物。

以上のような意味になるのではないかと思います。

一言で言うと、「コラムは世の中視点」、「エッセイは自分視点」、「雑記は自由視点」。

そう覚えておくと、記事を悩まずスムーズに書けるかも知れませんね。

僕も創作帳のカテゴリーをこの分類で分ける事にしたんですけど、もう一つブログやサイトで重要なカテゴリー、創作帳を創作帳たらしめている「創作・創造」のカテゴリーも付け加えました。

ブログやサイトでメインにしているテーマをカテゴリーに追加すると、読者やフォロワーにも分かりやすいですよね。

ただ、あまり沢山カテゴリー分けすると煩雑になるので、通常は5つぐらいが適正のような気がします。

これから、ブログやサイトを運営される方の参考にされて下さいね。

僕の「何かを始める」について!

僕は、実験的に新しい創作活動やサービスの利用を始める事が多い。

いつも、やりたい事の大きな方向だけ決めてスタートする。

その大きな理由は二つ。

①頭の中でプランを考えるだけでは、まだ何も形になっていない。
②アクションとプランを同時進行していないと、結果が見えない。

つまり、プランだけだと始まっていないのと同じ事だし、正しい方向を向いているのかすら分からなくなる。

思考と行動を擦り合わせながら、小さな答えを一つ一つ出す。
それが土台になって次のステップに繋がる(新しい創作活動を始めても結構応用できる)。

地味だけど、結局それが自分の思い描く理想と現実とを繋ぎ合わせる一番の近道だったりする。

だから、僕の「何かを始める」には、アクションとプランの同時進行が必須になっているんだよね。

ただ、注意しないといけないのは小さく始める事。
大きく始めてしまうと、自力で舵が取れなくなる事が多いからね。

小さく生んで、大きく育てる

これから何かを始めようとしている人達の幸運を祈ります。

創作帳誕生記!

創作帳ブログも、スタートから半月が過ぎてようやく落ち着いてきた。

このまま、この形を維持しながら微調整して行こうと思っている。

実は1ヶ月程前、創作をメインにしたブログを始めようと思っていた時には、この創作帳ブログは全く想定外だった。

詩をメインにした創作のブログを作ろうと考えていたからだ。

ところが、独自ドメインを取得する段階になって、詩をメインにした創作ブログでは、将来創作ジャンルが増えた時に対応できなくなる。

独自ドメインは、長期的に運営して認知度が上がったりSEO効果がでるからね。
短期的な変更はあまり良くない。

そこで、今創作している詩や落書きイラストをサブブログにして創作という大きなジャンルをメインブログにすれば、将来写真や動画といった創作ジャンルが増えたとしてもサブブログにして運営すれば良い。

そう考えて、創作の独自ドメインを取得した。

しかし、詩や落書きイラストやその他の創作物とも関連していて柔軟に方向性も変更できるものとは一体何だろう?
またもや、ここで立ち止まってしまった。

あれこれと探し続けた結果、辿り着いたのがコラム・エッセイだった。
文章系のコラム・エッセイならば、色んなジャンルの創作にも柔軟に対応できる。

ただ、僕の場合は文章系のブログは雑記が中心で、コラム・エッセイの記事をあまり書いた事がない。

だけども、他のブログで実験的に記事を投稿してみるとそこそこ反応がある。
この感じであれば、記事を書き続けてさえいれば、内容も充実してくるだろうし、文章力も上達するのではないかという事でこの創作帳が誕生した。

だから、これからコラム・エッセイは創作帳ブログに集約して暫く書き続けてみたいと思う。

行動派の僕にしては珍しくプランに2週間もかかってしまったけれど、少しずつ一歩一歩確実に成長して行ければと思っている(´ω`)

休日について考えてみた!

大型連休真っ只中、休日について考えてみた。

大型連休というと、年末年始、お盆、ゴールデンウィーク等を連想するけれども、それは本当に必要なのだろうか?

国が制定した祝日は、記念日として国民が祝えば良いだけの話であるし、基本的な休日は土曜日・日曜日だけで良いのではないかと思っている。

もっと自由に休暇を取得できるように制度を改めた方が、休日の本来の意味である英気を養う事になるのではないかと思うからだ。

現実社会の中では、どうしても休めない業務も数多くある。
また、その業務の中でモチベーションが最高潮に達している時に休むという事が逆にストレスになってしまったり、休んでもする事がないというのでは本末転倒になってしまう。

強制的な休日や労働は誰もが苦痛を感じる。

だから、合理的かつ個人個人のライフスタイルに合わせた休日を僕は待ち望んでいる。

もちろん、ブラック化防止の為の通報システムの強化と違法労働に対しての厳罰化は必須なんだけれども・・・

大型連休中のとある午後。
初夏の香り漂う空を見上げ、僕はそんな事を空想していた(´ー`)

令和の時代が始まった!

2019年5月1日。
元号が平成から令和に変わり、日本中が祝賀ムードに包まれている。

この年明けの雰囲気にも似た日本人の感覚は、一体どこからやって来るんだろう?

そもそも国というものは、世界が国として認知しなければ国としては存在しない。
あなたの国は日本ですよと世界から認められて、初めて日本という国が誕生する。

その日本の誕生から現在にかけての歴史に皇室はずっと寄り添ってきた。
つまり、皇室は日本の歴史そのものなんだよ。

時の権力者が、どれだけの力を持っていたとしても、歴史にはなれなかった。

もしかすると皇室というのは、日本人が日本人としてのルーツを確認できる唯一の存在なのかも知れない。

日本人としてのルーツを辿る事は、これからの日本を考える上でとても大切な事だと思う。

そんな事をふと思いながら、令和の時代が始まった。